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激しい恋をしたいな、と思えばそのとおりの恋を得、悲しい恋をしてみたい、と思えばそうなるといいます。その願望が目や態度に表れる同時に、それに適した相手を見つけるからなのです。
平凡な男女が平凡な場所で知り合うとしましょう。それが激しい恋になるでしょうか。まずはならないはずです。ところが平凡な男でも、怪しいパーティに出席すれば、激しい恋に陥ることもあるでしょうが、これは偶然の出会いではなく、最初から怪しげなパーティでの出会いのきっかけを求めているからこそ、最初の一瞬で情熱的な恋をしてしまうのです。
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情熱的な恋をしたい人には、情熱的な異性が・・
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最初から今夜のパーティで激しい情念を燃やせるような相手を見つけたい、と思ったときは、それにふさわしい女性ばかりを追う猟犬のような目つきになるものです。
どちらかといえば、相手の目もキラキラ輝いている女性に近づくのです。このときは、愛を惜しみなく奪うぞ、という気迫がみなぎっているために、女性もそれに応えて、一夜にせよ激情のひと時を過ごしたいという気になるでしょう。
反対に、悲しい恋をしたい女性なら、それにふさわしい、ひとりぼっちの男に誘いをかければいいのです。大勢のなかでにぎやかにやっている男では、悲しい酒を酌み交わす仲にはとうていなれません。
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人生は恋愛の生き方をさのまま反映
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恋に生き、恋に死んだ女性は数多くいますが、彼女たちの生き方を調べてみると、生き方自体が恋愛の方向とぴったり一致していることに驚かされます。
戦前から戦後にかけて、永遠の処女と謳われた原節子(はらせつこ 1920−2015)という女優がいました。
彼女は見るからにさびしい顔立ちをしていましが、映画のなかでも入浴シーンダメ、キスシーンダメ、強姦シーンダメ、といったイメージを大切にしてきました。ところが、そういう生活をしていると恋ははかないものとなり、ついに絶世の美女でありながら、終生ひとり暮らしという、愛に薄い生き方となってしまったのです。
これに似た生き方をしたのが山口百恵さんではないでしょうか。
彼女は三浦友和というよき伴侶を得ましたが、華やかなトップ歌手の座を21歳で捨てています。彼女も顔立ちは寂しくつつましやかな生き方が好きだったので、市井の生活に埋もれたかったのでしょう。
反対に、三岸節子(みぎしせつこ 1905−1999)という女流画家の生き方も目立ちます。
彼女は「愛は惜しみなくすべてを奪うもの」という激しい情熱の持ち主であったため、最初の夫で同じ画家である三岸好太郎から幻想的な作風を奪い取り、彼が急逝すると続いて別居結婚という、その当時珍しい生活形態で同じく画家の菅野圭介と一緒になって、その精神を吸い取り、ついに画業を完成させました。
彼女は男から奪えるものは奪いつくす、という激しい情熱の持ち主だったので、それにふさわしい相手が目の前に出現したともいえるでしょう。問題は気力と情熱なのです。それが輝いていなければ、異性は近づいてこないでしょう。
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